富士重工がスバルに社名変更、理由は?社歌の歌詞も変更されたのがこちら

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富士重工業がスバルへ変更

吉永泰之社長

SUBARUなどで知られている、自動車メーカーの富士重工業が社名をSUBARUに変えられました。
読み方はこれまで通りと同じスバルとのことです。
4月1日に社名を変えたようです。
そして2日には群馬県にある自動車の国内の生産拠点で記念式典をされました。
吉永社長は「社名変更はもっと成長をさせようという決意表明」だと述べられました。

また、SUBARU群馬製作所の所長はこれからも地元に報いられるようにものづくりに取り組み地域との関係を強化したいと話されました。
社名ロゴについてはこれまでは自動車事業だけでしたがブランド名も開発中のヘリコプターなどにも使用するとのことです。
スバル看板写真

現在同社は北米を重点市場と位置づけてます。

なぜなら現在SUBARUは北米での販売台数が八期連続で過去最高を更新する見通しがあるようです。

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会社の歌の歌詞も変更

こちらが変更した写真です。
スバル歌詞変更
歌詞の最後の方におお!輝くわがスバル わがスバル

若さはここに わがスバル
となっています。

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SUBARU元々飛行機の制作会社だった!?


1917年(大正6年)に元海軍機関大尉だった中島知久平氏が群馬県に設立した民営の飛行機の研究所で、あの有名な中島飛行機製作所です。

中島飛行機製作所は戦後、航空機の研究や製造の禁止をGHQから告げられて1945年には富士産業になります。
自転車やリヤカー、鍋や釜などをつくっていました。
その後、進駐軍のスクーターをみて、国産を製造するようになります。
ところが、今度は1950年、政策で財閥解体になってしまいます。
同年、朝鮮特需によって、生産数が増したのとGHQの日本占領政策が変化しました。

その後、講和条約などの流れも汲んで、1953年に5社出資による航空機生産を事業目的とする新会社富士重工業株式会社が発足
1955年には富士重工業は、富士工業・富士自動車工業・大宮富士工業・宇都宮車輛・東京富士産業の5社を吸収。

1958年にスバル・360、スバルサンバーという二種の軽自動車が商業的に成功を収めまます。こうしてブランド名スバルが自動車メーカーとしての地位を確率したというわけです。