辰吉丈一郎さんの愛車はこちら
浪速のジョーこと辰吉丈一郎さんの愛車がイカツすぎる!!
薬師寺保栄さんってどんな人?
薬師寺保栄さんは、「浪速のジョー」こと辰吉丈一郎さんのライバルである。
大分県津久見市出身の1968年7月22日生まれ、血液型はB型です。
徳島県池田町で、2歳から4歳まで育ち、以降は愛知県小牧市で育ちました。
父親がアマチュアボクサーであった影響を受け、ボクシングを始めた。
享栄高校では、元プロ野球選手の「近藤真一」と「長谷部裕」と同級生であった。
享栄高校の2年先輩には、「畑中清詞」もいた。
高校卒業後(1987年)に、名古屋市にある「松田ボクシングジム」に入門する。
1987年7月には、早くもプロデビューする。
デビュー当初のスタイルが「打ってはすぐに退く」スタイルであったため「臆病者」と呼ばれていた。
当時の成績は、「6戦 3勝(1KO)2敗1分」で特に目立つものではなかったため、周辺の人達からは、「将来、世界どころか日本王者にすらなれない」と評価が低かった。
1989年3月1日には、成人式(1月15日)に暴走族仲間と暴走していたことが発覚し、愛知県警に「道交法違反(共同危険行為)」で逮捕された。
この事件の影響で、「日本ボクシングコミッション」から6か月間の停止処分となった。
1990年6月には、「米坂淳」と対戦し最終10回にKO勝ちを収める。
しかし対戦相手であった「米坂淳」が、試合後に意識不明の重体となり数日後に死亡してしまった。
この時、対戦相手を殺してしまった罪悪感から引退を考えたという。
薬師寺保栄さんは「彼の分まで、という考えはなかったけれど、このままオレがダメになったら、もっとダメだし」と現役続行を決意した。
1991年6月には、「尾崎恵一」を9回KOで勝利し、日本バンタム級王座を獲得した。
1991年12月には、「中谷幸男」を初回KOを奪い初防衛に成功する。
その後、「日本バンタム級王座」を返上した。
1993年12月23日には、左眼網膜剥離で世界戦をキャンセルした「辰吉丈一郎」の代わりに、WBC世界バンタム級王者「辺丁一」と戦い、12回判定勝ちを収めた。これが初の世界戦であった。
1994年7月には、前回の試合について「辺丁一」側が猛抗議をしていたため再戦した。
この試合では、5度のダウンを奪い11回TKO勝ちを収めた。
この試合で敗北した「辺丁一」は引退した。
1994年12月4日には、WBC世界バンタム級暫定王者の「辰吉丈一郎」と対戦した。
激闘のフルラウンドで戦い、「2-0」の判定で勝利を収め王座防衛に成功した。
1995年7月30日には、「ウェイン・マッカラー」と対戦し、12回判定負けし王座陥落する。この試合で「現役引退」した。
2007年4月3日に、「薬師寺ボクシングジム」をオープンさせる。
後援会名誉会長の「アントニオ猪木」から支援を受けている。
2012年12月には、長年連れ添った妻と離婚した。
2015年2月10日の「踊る!さんま御殿!!」で「18歳年下の一般女性」と再婚したことを明かす。
薬師寺保栄さんの愛車
ダッジ・チャレンジャーSRT8
アメリカの自動車メーカー「ダッチ」が製造販売していたが、1928年に「クライスラー」が買収し、現在は「クライスラーブランド」として販売している「ダッジ・チャレンジャー」。
既に、売却済みのクルマになっているようです。
東京オートサロン2013に薬師寺保栄さんの元愛車「ダッジ・チャレンジャーSRT8」が出展されていました。
ランボルギーニ・ディアブロSE30(限定車)
ランボルギーニから発売されている「ディアブロ」は、有名な「スーパーカー」です。
薬師寺保栄さんが所有する「ランボルギーニ・ディアブロ」は、「ランボルギーニ創業30年記念」モデルとし、150台限定の「スペシャルエディションSE30」である。
※150台限定であったが、197台出荷されたようです。
クライスラー300C
「クライスラー300C」は、クライスラーから販売された「高級セダン」です。
日本仕様では、「300リミテッド」と「300Cラグジュアリー」の2種類発売されています。
薬師寺保栄さんの元嫁と娘
まとめ
薬師寺保栄さんは、どうも「クライスラー」のクルマが大好きなようですね。
ランボルギーニ・ディアブロSE3については、プレミア価格で取引されているようです。
このディアブロは、チャンピオン時代に購入されてそうで、特に思い入れの強いクルマでしょうね。
恐らく一生売らないでしょうね。
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